エイジレス不動産が、元町にある理由。曽祖父が営んだ映画館の話
私たちエイジレス不動産は、横浜市中区元町に店舗を構えています。「なぜ元町なのですか」と聞かれることがあるので、この機会に少しお話しさせてください。実は、この街と私たちのつながりは、100年ほど前までさかのぼります。
住まいは、健康の原点だと考えています
私たちのグループは、パーソナルジムと訪問看護ステーションも運営しています。不動産会社としては、少し変わった組み合わせかもしれません。
この3つを続けるなかで、ひとつ気づいたことがありました。体調を崩されている方の多くは、住まいや生活の環境が整っていないということです。
どれだけ運動をしても、医療を受けても、毎日を過ごす場所が整っていなければ、健康は続きません。住まいは、心と体を支える土台です。
だからこそ「住まいから健康をつくる」という考え方で、不動産の仲介・リノベーション・買取再生に取り組んでいます。空き家を価値ある住まいへと再生し、暮らしの質を整えることが、地域の健康と街の未来につながると考えています。

※イラストはイメージです
100年前、この街に映画館がありました
もうひとつ、元町・中区を選んだ理由があります。
1911年、いまの伊勢佐木町のあたりに「横浜オデヲン座」という映画館が開業しました。複数の地域史の資料で、日本最初の洋画専門館として紹介されている劇場です。輸入されたばかりのフィルムを他館に先駆けて上映していたことから、新作公開を意味する「封切り」という言葉の発祥地ともいわれています。

※イラストはイメージです。実在の建物を描いたものではありません
創業したのはドイツ人の貿易商でした。第一次世界大戦のあと日本人の経営に移り、1923年の関東大震災で大きな被害を受けます。
その焼け跡から劇場を引き継いだのが、当社代表の曽祖父にあたる六崎市之介でした。
曽祖父はクラリネット奏者でした。まだ映画に音のなかった時代です。劇場に楽団を組織し、自ら演奏して映画に伴奏をつけていたと伝えられています。その質の高さが評判を呼び、東京からも映画ファンが訪れたそうです。
戦後、劇場は進駐軍に接収されました。それでも曽祖父は1947年頃、近くの曙町に新しく劇場を開き、そこに「横浜オデヲン座」の名前を残しています。建物を失っても、名前だけは絶やさなかったということなのだと思います。
劇場そのものは2000年に幕を下ろしましたが、横浜開港資料館には、当時の劇場プログラムを含む関連資料が2,000点以上収蔵されています。
「お客様が誇りに思える場所で」
当社代表が、母親から受け継いだ言葉があります。
「商売は、お客様が誇りに思える場所でやりなさい」
元町は、まさにその言葉を体現している街です。横浜開港の頃から外国人の暮らしを支えてきた商店街があり、山手には洋館が残り、いまも新しいお店が生まれ続けている。歴史と新しさが同居しているこの街には、そこに住むこと自体を誇れる空気があります。
私たちにとって元町・中区は、単なる営業エリアではありません。代表の一族が根を張ってきた場所であり、これから挑戦していく舞台でもあります。
その想いに共感した人間が集まっています
ここまで代表の話が続きましたが、実際にお客様と向き合うのは、私たちスタッフ一人ひとりです。
エイジレス不動産には、この考え方に共感し、この街で貢献したいと考える人間が集まっています。売買、賃貸、リノベーション。得意とする分野はそれぞれ違いますが、「住まいから健康をつくる」という軸は共通しています。
どの担当がお話をうかがっても、目指しているところは同じです。
まずはご相談から
私たちは、すべての店舗に無料相談の窓口を設けています。売却のこと、住まいのこと、暮らしのこと。どんな小さなことでも構いません。
「まだ売ると決めたわけではない」という段階のご相談も歓迎しております。お問い合わせフォームまたはお電話で承っておりますので、お気軽にお声がけください。
※横浜オデヲン座に関する記述は、以下の公開資料を参考にしています。
・三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス|横浜の商業地」
・PHP研究所「明治から続く興行街『伊勢佐木町』の知られざる歴史」
・横浜開港資料館『ウィークリーにみるオデヲン座興行記録1924〜1942 資料集』
・横浜市中区「中区の町名とその歩み」


